朴谷の獅子舞

由来とあらまし

昭和63年に朴谷集落の有志が獅子舞の復活に向けて立ち上がったが、昭和20年代を最後に踊りは途絶えたため、踊りを伝承できる者がいなかった。そこで魚津市の小川寺獅子舞保存会に演舞指導を依頼し、約2年かけて現在の踊りに至った。その小川寺の獅子舞(魚津市)は宝永年間(1704~1710)以降に現在の形になったとされている。

毎年1月2日に各家々をまわり「疫病退治・悪魔払い」をすることによって親しまれていた。家人達は獅子に頭を噛まれることで一年の無病息災を願い、感謝の意をこめて当時は「どぶろく」や「お餅」を振舞ったそうである。現在は時代も変わり寸志やお酒となっている。当時は獅子舞の踊りこそなかったものの現在は「疫病退治・悪魔払い」が終わった後、集落の3箇所で県道沿いに路踊りを取り入れ見物人に喜ばれている。

平成元年8月14日「第1回獅子舞 in Summer1989」と題し、集落の方々や特にお盆の帰省者に披露しようと、集落センター前広場で自作のステージを作制し夏祭りを開催した。以降、夏祭りでは獅子舞演舞披露だけでなく婦人会の踊りなど集落挙げての一大イベントとして定着しており、近隣の集落からの参加者も多く盛大に行われている。ここまで盛り上がることができたのは中心となっている朴谷青壮年会の熱意と集落の協力もさることながら、小学生によって舞われることが大きな要因となっている。朴谷に生まれ育つ小学生たちは夏祭りでは当然のように舞うのである。そして、かつて小学生であった青年達が現在その中心とになり演舞指導にあたっている。このように集落挙げて獅子舞の保存につとめ、朴谷獅子舞保存会は存続している。

演舞内容

基本的に小川寺獅子舞保存会のものであるが「猩々」については朴谷獅子舞保存会オリジナルである。獅子は一人獅子で、地を這うように頭をゆっくり左右に振り、何かを探るような身振りで腰をかがめて舞い、天狗は右手右足、左手左足を一緒に出してはねるように踊る(南蛮踊り)。

演舞は全13項目からなる。

1.四人天狗獅子とあしけりの段

2.四人天狗と刀合わせの段

3.四人天狗獅子ともっこかえしの段

4.四人天狗獅子と腕つっぱりの段

5.四人天狗獅子と唐傘踊りの段

6.獅子と両頭唐傘踊りの段

7.獅子と両頭刀踊りの段

8.車返しの段

9.猩々

10.地蔵

11.獅子起こし

12.玉とり

13.盆踊り

その他(餅つき・初期の頃は盆踊り)